サバーイとまったり

調子に乗って、また駄文を書く。


タイ人は直感的快楽主義者であると言うが、それを如実に表している言葉が「サバーイ」であろう。その意味は今、精神的、肉体的に気持ちいいという事であり、後先のことなど考えない。そのもっとも適切な日本語訳は「まったり」ではないのかと思う。癒される、というやつである。日本人がタイにはまる理由の一つがこのサバーイ=まったり感覚なのだろう。


ただ、仕事となるとこうはいくまい。日本人は仕事に疲れてまったりするが、職場ではまったりしない。タイ人はその本質がサバーイであるから、職場でもサバーイする。これが日本人がタイ人とビジネスをするときの軋轢となる。


実際タイ人の知人と待ち合わせの約束などしても、時間丁度に来ることなど滅多にありゃしない。30分から1時間の遅れはざらである。携帯に電話をしても出やしない。結局すっぽかされて、次の日やっと電話がつながり「どうしたんだ」と聞くと、「ごめーん、マイサバーイ(サバーイじゃない)だったから」という事は日常茶飯事だったりする。(ちなみに「ごめん」を言うのは半分以下の確率であり、サバーイじゃなかったことに同意と慰めを求めてきたりもする。)


プライベートの比較的どうでもいい予定の時はこれでも良かろうが、仕事の時ははなはだ芳しくない。ただ、そうだから約束を守らないタイ人はだめだと言ってはいけないのである。彼らの考えは明日の約束を反故にする事より、今、約束ができないと言うことを言って、サバーイな今の状況を白けさせる事をよしとしないのである。これは日本人とタイ人の価値観の「違い」である。


実はsisimaruは外資系企業で働いている。15年程前であろうか、会社が大きくなり始めた頃、日米以外の諸外国の方々と働く機会が増え、それに伴い会社がクロスカルチャコースというのを用意してくれた(今は無いが)。


退屈なコースだったのだが、そのコースのはじめに講師の語られた事は頭に残っている。それは国民性に「良い」ところ、「悪い」ところなど無いという事である。これは「違い」と思い、それに「しなやかに」合わせろ。ただし個人的感情として「好き」、「嫌い」を持つのは全くの自由である、というものであった。


なるほどと思った。よく、なんとか人は怠け者だからダメだとか、なんとか人はずるいからケシカランとかと、国民性を最大公約数で大上段に語る人がいる。仮にそうだとしても、それが何だというのか?その国の指導者となり、国家プロジェクトを立ち上げてそれを直すというのか?はたまた前時代的大東亜共栄圏を築くというのか?(某大国が全世界に対して行っているように。)他国の人々とつきあうには、自分がそれを違いとして受け止め、落し所を探し、上手いことやっていかなくてはなるまい。日本人的価値観の一方的な押しつけはほとんどの場合通用しないのである。


おそらくタイ人もイープン(日本人)は細かいことにいちいちうるさい、尻の穴の小さい連中だ、と思っているに違いない。バンコク滞在1ヶ月、旅行者から少しだけ滞在者の目でものを見るようになったsisimaruの今の思いである。