人間の5大欲


(ヲノレの所業に対する正当性を語っております(;^^)てへ)

人間を含む動物には、食欲・性欲・睡眠欲という3大欲ってのがあるんである。それを満たさないと死んじゃう。または種が絶えてしまう。本能と換言してもいいであろう。それを充足するメカニズムは快楽と共にある。ご飯食べれば美味しいし、エッチは気持ちいいし、寝るのはぐーぐーガンモである。よくしたものである。これらが苦痛と共にあれば誰もこまつ屋で食事をしないし、倖田來未を見てもエロくならないし、徹夜明けでも眠くならない。即★(意味は昨日のblog参照)である。sisimaruはと言えば3大欲すべて旺盛、と言いたいのだが、そのうち一つは寄る年波には勝てず、最近減退気味なのである(・_・、)
あっ、そんなことはどうでも良い事であった…(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)


だが人間には人間にしかない欲がある。それは、社会欲と物欲である。社会欲とは出世欲であったり世間体を気にしたりなど、自分が周りから見られる事に対する欲望である。「見栄」とでも言おうか?物欲とは物が欲しいとか、金に対する欲だったりする。「充足」とでも言うのだろう。


これらを含めて人間の5大欲と言うのだそうだ。


さてこれら2群の違いは何であろう。それは際限の有無だと思う。食欲・性欲・睡眠欲には際限がある。食べ過ぎ、ヤリ過ぎ、寝過ぎ。もう充分。しかしながら社会欲・物欲にはそれがない。上を見ても下を見てもきりが無い。ビンボー人(sisimaru)はネット成金野郎にあこがれ、ネット成金野郎はホリエモンを目指し、ホリエモンは孫さんに嫉妬し、孫さんはビルゲイツを良いなと思い、ビルゲイツは… てなもんで。


ほとんどの宗教は社会欲・物欲を戒めているように思われるが(語弊があればご教示下さい。)それはその際限のなさに対する安全弁のようなものであろう。でもsisimaruはこれらを否定しない。ただ自分の懐のうちで楽しくおやりよ、と言うするのみである。偉くなりたいから人間は仕事をするのであり、それがマクロな結果として文化の発展に寄与するのである。人生すべてマイペンライだと、目先はへらへらと楽しげだが、あまり良い結果にはなりそうにない。国としてもへなちょこになってしまい、他民族に上層部を乗っ取られてしまうであろう。(語弊があればご教示下さい。)適度な物欲は人生を楽しく過ごすスパイスとなり、見せびらかしえっへん<(`^´)>状態は少しだけ社会欲を満足させるであろうが、家屋を質に入れたり、カーチャンをフーゾクに沈めてまで物欲を満足させるのはちょっと芳しくないような気がする。(語弊があればご教示下さい。)


幸い日本仏教には「除夜の鐘108カウント年内煩悩除去システム」というありがたい免罪符があるではないか。(他仏教にもあるのか?)あと2週間強でそんな季節である。読者諸兄諸姉はその時のために、目先の小物欲にせっせと励もうではないか〜。
ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ